終わりの始まり〜原発危機のなかで
2011-07-03


さて、この文科省、昔は文部省だったのにいつの間にか名前が変わった。2001年に旧総理府所管の科学技術庁と合体して今の文部科学省となっていた。合体した科学技術庁は、1956年に総理府原子力局が昇格して発足したもので、文字通り一貫して原子力推進のための国家機関であった。つまり、文科省ではこどもの教育と原子力がまったく同じ役所の中で進められている。道理で、放射能被害を認め素直に頭を下げるわけがないはずだ。このままでは子どもたちが犠牲になる。

原発危機と戦時体制
 原発危機と戦争を結びつけるとオオカミ少年と言われるかもしれないが、あえて言いたい。
 まず第一に、原発は原爆から生まれた。アメリカにとって自らの核兵器を正当化するために核の「平和利用」が必要だった。特に日本でやる意味は大きい。それに乗ったのが中曽根康弘と正力松太郎だった。1954年のことである。
 二番目に、原発という国策推進のため国家総動員態勢が敷かれている。国家が多くのスタッフとカネを使って徹底したプロパガンダと洗脳を行っている。そして、NHKをはじめとする報道機関は、せっせと「大本営発表」を垂れ流している。科学者たちはこぞって御用学者に成り下がった。「不敗神話」と「安全神話」は同根である。
 第三に、原発は完全なる無責任体制である。東電と政府の責任の押し付け合い、政府内でも省庁に分散させられた担当がバラバラに動き誰も責任を取らない。かつての、政府と軍部そして天皇と、構造は同じだ。あの戦争ですら、いまだに責任追及がなされていないのだから、日本人は原発危機の責任を追及できるだろうか。
 第四に、原発は「多重防護」ならぬ「多重犠牲」システムである。消防士や自衛官が特攻隊のように働き、現場作業員が「フクシマ50」などと英雄視されているが、彼らは犠牲者だ。大量の被曝を強いられた。そして今は、福島の住民に、放射能汚染と被曝、そして数十万人の原発難民を生んでいる。内にも外にも犠牲を強いるシステムが原発である。
 最後に、この国は外圧でしか変わらないのだろうかということ。事故収束工程表はクリントン長官来日に合わせて発表され、メルトダウンを認めた報告書はIAEA査察とサミットのために作られた。すべてがこの調子だ。走り出した国策は自ら止めることはできないのか。広島長崎に原爆を落とされるまで止めることができなかったあの戦争。このままではいつか「原発危機」によって日本は破滅する。
 暗い話ばかりで申し訳ないが、まさに今が正念場である。(2011年6月10日セルク掲載)

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