福島第一原発から漏れた放射能の広がりマップ(リンク)
2011-08-01


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以前このブロでも紹介した群馬大学の早川由起夫教授による、放射能汚染地図の最新版が公開されています。早川教授は火山学が専門で、噴火に伴う火山ガスや火山灰の拡散理論を応用して放射能の拡散状況を分析しました。
 それによると、3/12〓23の間に4回にわたって大きく3方向に放射能雲が流れたことが分かります。
@ 3/12夜、北へ向かって一関市に至った放射能雲。21時ころ南相馬市を通過しました。
A 3/15午前、南へ向かって東京に達した放射能雲。4時にいわき市を通過して南下。茨城県内で枝分かれして10時半に宇都宮市に、14時に郡山市に達しました。枝分かれはもうひとつあって12時に前橋市に達したあと、夕刻以降に軽井沢町と沼田市に届いています。
B 3/15夕方、北西に向かって流れた特別に濃い放射能雲。これが福島県にとって悪魔の風となり、飯舘村などに深刻な汚染をもたらしました。この放射能雲は19時に福島市、20時半に郡山市に達し、さらに白河の関を越えて栃木県内に侵入し、那須と日光に達しました。
C 3/21〓23、再び南へ向かって東京に達した放射能雲。21日6時に水戸市を通過した放射能雲は9時に東京新宿に達しました。この3日間、関東地方には強い雨が断続的に降り、千葉県東葛地方にみられる汚染のホットスポットを作りました。その形と大きさは放射能雲の濃度と雨の強さによります。
 この汚染ルートとタイミングは、福島原発で起こった爆発日時と合っていません。1号機は3月12日15時36分に爆発、3号機は3月14日11時01分に爆発しました。早川教授は、福島原発から大量の放射性物質が漏れたのは、爆発の瞬間ではなく、爆発からしばらく時間を置いて、原発建屋から音もなく静かに漏れ出したようだと言っています。

 このような放射能の流れを当時だれが分かっていたでしょう。放射能雲が漂う中で子どもたちは学校に通っていました。お彼岸の雨に当たって帰りを急ぐ子どもたちもいました。今から思えば、あの時に避難や屋内退避などの対策をきちんととっていれば、多くの人が余分な被曝を受けずにすんだのにと本当に悔やまれます。
 国が持っている拡散予測システムSPEEDIは、もちろんこの間の放射能雲の流れとひろがりを予測しています。そのデータを隠した罪はとてつもなく大きいと言えるでしょう。

早川由起夫の火山ブログ:放射能汚染地図(三訂版)
[URL]
同ブログ:放射能汚染地図の読み方
[URL]
読売新聞「放射能の広がり詳細地図に」(7/31)に掲載されている地図
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=264&reqId=44726

@nnistarさんのページ:国・自治体による高さ1m・0.5m計測を中心とした放射線量マップ
[URL]
このマップにも頭が下がります。これは、早川教授の放射能汚染マップと重ねて見ることができます。
 なお、私も埼玉県を中心とした汚染マップを作っていますのでご覧ください。
[URL]
[リンク]

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